honekawanのブログ

文章汚い癖を克服するため頑張ります。

国家は二つの要素から成り立つ。実践的要素と尊厳的要素。前者は政府があたり、政策を作り、それを実践する役目を持ち、有権者に対して忠誠を尽くす。後者は君主があたり、前者に対して意義と正当性を与え、忠誠を尽くす相手は神にだけ、である。

こう、ウォルター・バジョットが述べていたと記憶している。

これは立憲君主制における政府と君主、各々の意味を説いたものである。勿論、政府は法律を作り、政策を実行し、有権者の暮らしを改善すべく、その努力をする。小学生を終了すれば、誰しもが理解できることだろう。しかし、君主は何故存在するのだろうか?と君臨する意義を理解できてない人は少なからずいるだろう。政府の役割が明瞭でわかりやすいのに対し、君主の役割というものは目に触れる機会が少ないからなのかもしれない。国民を代表して政に携わる人間は誰か?と聞けば、時間の経たぬ内に「政府」という声が上がる。政に関するという意味では、君主も国民を代表している、そこから繋げて「国民の上にある」と解するならば、政府だけで事足りるのではないかと疑問を抱くのだろう。

政府の決定事項は我々国民の日常に影響を及ぼす。しかし、君主の動きは「我々国民の日常に影響を及ぼす」と体験談のように語ることは難しいのであろう。私はそういう心理であるのだと納得している。

人の言動を規制するものは色々とある。その中でも「ルール」「マナー」は簡単に理解され、自然と使われている。電車で他の人に迷惑をかけてはいけない。これはマナーと呼べる。そして、校則上禁じられている行為を学校でしてはならない、というのはルールだ。日常的に遭遇している種もあれば、日常に関係あるものの、ワンランク上の種もある。

国家であれば法律と憲法が定められている。これはワンランク上の種に位置すると思う。と言えど、法律と憲法が同格であると表記しているのではなく、日常的な種と比べて双方共に「(ランク)上」としている訳です。ここで読者のグーグル検索の手間を省くため、検索結果を書き示すのであれば、以下の通り意味内容を説明できる。

法律
→個人の権利自由を制約するもの。
憲法
→国民の権利自由を制約するもの。

と、簡単に省略して書いたのですが、眠い中書いているのでもしかしたら間違ってるかもしれません。正確なところは各々が調べて検証していただいて、私はこの記事内で意図したいものを説明するための表現をしているとも理解していただいて、それでお互い賢くなれる平和な社会ができると思っています。
平和な社会にするため、法律・憲法が定められているわけですが、双方には相違点があります。法律は国民を縛っていると表現しても過言ではなく、憲法は国家を縛っていると表現しても過言ではない。国民一人一人の自由・権利を確立するため、「これはしてはいけません」と決める。そう、国民を法律によって縛るにも、縛りすぎては本末転倒であるため、法律の限界を決める。一種の監視体制ができているわけです。

前述で「法律と憲法は同格でない」と申したのは、憲法が法律を縛る上で「憲法の方が格上だぞー!」としてなければ意味をなさないから。勘も良ければ、頭も良ければそう気が付くと思います。

私は無知であるので敬語を以て説明したのですが、下からは常体で語ります。

日常的なルール・マナーに効力を持たせるため、又、良いものを良い、悪いものは悪いと分別のつけるように法律がある。法律と憲法の関係も然り。日常的なルール・マナー→法律→憲法、という流れを感じられずにはいられない。